予備校生だったあの頃、麺類を食べることは俺にとってのルーティーンだった。
東京への夢を抱き、毎日英単語帳を繰り返し開く。勉強に区切りをつける合図のように、空腹を感じると自然と向かうのが、麺類の店。
ここ「やきそば屋」は、俺にとって定番の店の一つだった。
大通りからアスティ45に移転してからは行っていなかったが、ふと懐かしさに駆られて再訪してみた。
店内に入ると、そこで漂うやきそばとソースの香りが俺の記憶のスイッチを押す。
カウンターに座り、やきそばを前にして少しずつソースを足す。その動作が、あの頃のルーティーンそのものだ。ソースの濃さを調整しながら、予備校での自分を思い出す。その毎日繰り返していた行動が、今ではどこか懐かしくもあり、あの頃の焦りや不安と一緒に蘇ってくる。
やきそばの味自体はとてもシンプルで、特徴があるわけではない。ただ、その味に浸るたびに、いつも決まった時間に訪れていたあの店、そして自分自身のリズムを取り戻すかのような感覚に包まれる。
あの頃、俺は未来への不安や大人になることへの焦燥感に押しつぶされそうだった。でも今振り返れば、そんな焦燥感すらも、毎日やきそばを食べるルーティーンと同じように、当時の自分を形作っていた一部だったのかもしれない。
「やきそば屋」は、俺の日常の一部、そしてあの頃の俺が繰り返していたルーティーンの象徴だ。今、アラフィフになって振り返ると、日常の中で繰り返される小さなルーティーンが、時間と共に思い出となり、俺という人間を静かに作り上げていくことに気づく。
そうして、ソースを足して味を整えるように、人生もまた、少しずつ形作られていくのだ。