はぐれ道中~旅情編~

時の止まる場所でどっぷり浸る、懐かしさと癒しの旅路

味わいの旅(25)日本海の絶景と石窯の香り【リップル・厚田】

3種のフンギ・厚田町のリップル

リップルといえば仮想通貨を思い浮かべるが、厚田のリップルはまるで別世界だ。

ここでは、日本海を眺めながら、石窯で焼かれたピザと味わうことができる。休日には行列が絶えないが、その待ち時間すら厚田の豊かな自然の一部として感じられるほどだ。

石窯の中では、広葉樹の薪が放つ遠赤外線によって、生地がじっくりと焼き上げられる。外はパリッと、中はもっちりとし、じんわりと水分が閉じ込められている。まさに、この薪の力が、石窯のなかで生地に魔法をかけているのである。

今回頼んだのは「3種のフンギ」。

舞茸、しめじ、エリンギが贅沢に使われ、ほんのり塩味が効いたキノコの旨味が、チーズのコクと一体となって調和を生み出している。

噛むごとに、キノコの風味が広がり、チーズと絡み合うその瞬間に、言葉を忘れてしまうほどの幸福感が口の中を満たす。

ピザの美味しさ、生地の香り、日本海の絶景――これらが交錯するリップルは、まるで五感がすべて開放されるような場所だ。

ピザを頬張るたびに、薪で焼かれた生地の芳しい香りが広がり、目の前に広がる大海原の絶景が、食事を特別なものに変える。

リップルで過ごす時間は、厚田方面への旅そのものに、新たな彩りを添える瞬間にほかならない。

味わいの旅(24)剣淵町の新たな味わい【世田谷下北ファーム・剣淵】

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俺にとって剣淵町は、かつてはただ車で通り過ぎるだけのことが多い場所だったが、吉野シェフが手掛けるレストランに出会ってから、その印象は一変した。

八王子で生まれ、父の影響で料理の道へ進んだ吉野シェフは、フランス料理店で修行の後、世田谷の下北沢に店をオープン。2020年に剣淵町へ移住した方だ。

今回、俺が食べたのは「知床鶏もも肉と季節野菜のグリーンカレー」。

パリッと焼かれた鶏肉の皮と、ふっくらしたお肉が、ピリ辛のカレーと絶妙に絡み合い、最後まで飽きることなく楽しめる一品だった。

この店がオープンして以降、剣淵町に立ち寄るのが楽しくて堪らなくなった。吉野シェフの手による料理は、まさに剣淵町を俺にとって特別な場所へと変えてくれた。

味わいの旅路(23)すすきので締めの味噌ラーメン【けやき・札幌】

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けやきの味噌ラーメンを初めて食べたのは、約20年前。深夜のすすきので、その店にはいつも行列ができていた。

中太の縮れ麺は、弾力があり食感もいい。スープと絶妙に絡み合っている。

味噌のスープはまろやかなで、驚くほど深いコクがあり、ひと口目の瞬間から、その旨さで五感が揺さぶられ、ついついスープを何度も口に運んでしまう。

若い頃、けやきの味噌ラーメンで締めくくるすすきのの夜には、わずかな寂しさがつきまとったものだ。いくつもの店をはしごしたせいで、財布が軽くなったからだ。

深夜、ラーメンの余韻に浸りながら、すすきのの喧騒から離れる瞬間、無茶な飲み方をしていた昔とは違う自分に気づく。

今では、もう少し落ち着いた夜の過ごし方を知っているが、あの頃の無鉄砲な夜もどこか懐かしく思う。

 

味わいの旅路(22)若き日のルーティーン【やきそば屋・札幌】

やきそば屋(札幌市)

予備校生だったあの頃、麺類を食べることは俺にとってのルーティーンだった。

東京への夢を抱き、毎日英単語帳を繰り返し開く。勉強に区切りをつける合図のように、空腹を感じると自然と向かうのが、麺類の店。

ここ「やきそば屋」は、俺にとって定番の店の一つだった。

大通りからアスティ45に移転してからは行っていなかったが、ふと懐かしさに駆られて再訪してみた。

店内に入ると、そこで漂うやきそばとソースの香りが俺の記憶のスイッチを押す。

カウンターに座り、やきそばを前にして少しずつソースを足す。その動作が、あの頃のルーティーンそのものだ。ソースの濃さを調整しながら、予備校での自分を思い出す。その毎日繰り返していた行動が、今ではどこか懐かしくもあり、あの頃の焦りや不安と一緒に蘇ってくる。

やきそば屋(札幌市)

やきそばの味自体はとてもシンプルで、特徴があるわけではない。ただ、その味に浸るたびに、いつも決まった時間に訪れていたあの店、そして自分自身のリズムを取り戻すかのような感覚に包まれる。

あの頃、俺は未来への不安や大人になることへの焦燥感に押しつぶされそうだった。でも今振り返れば、そんな焦燥感すらも、毎日やきそばを食べるルーティーンと同じように、当時の自分を形作っていた一部だったのかもしれない。

「やきそば屋」は、俺の日常の一部、そしてあの頃の俺が繰り返していたルーティーンの象徴だ。今、アラフィフになって振り返ると、日常の中で繰り返される小さなルーティーンが、時間と共に思い出となり、俺という人間を静かに作り上げていくことに気づく。

そうして、ソースを足して味を整えるように、人生もまた、少しずつ形作られていくのだ。

人生と旅路(11)運命の黄色いハンカチ

幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば(夕張市

若い頃、バンドのヴォーカルをしていたことがある。

ホワイトスネイクの「Fool for Your Loving」をカバーしたとき、その冒頭の歌詞が「I was born under a bad sign, Left out in the cold」で、これを訳すと、「俺は悪い兆しのもとに生まれ、のけ者にされた」というものだった。

あのときは深くは考えずに歌っていたが、30歳になる頃、地元の名士から「人は生まれながらにして運命が決まっている」と言われ、その冒頭の歌詞を思い出した。

そして、俺も運命に従うしかないのか、と将来を諦めた時期があった。

ある日、農家の人と種について話していると、「どんなに良い種でも、土壌や環境が整っていなければ花を咲かせられない」と教えられた。

それを聞いて、人間も植物も一緒ではないのかと考えた。

どんな人と縁を結ぶのか、日々の環境をどう整えるのかが、人生を変える鍵になるのではないかと気づいたのだ。人生は単に運命に従うのではなく、自らの努力で成り立つものなのだと。

夕張の「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地に行くと、今でも黄色いハンカチが風にたなびいている。

あのハンカチを見るたびに、俺の心は動かされる。人生を諦めかけていた頃、何度もこの光景に救われた気がする。もちろん、あの映画のラストシーンが希望そのものだったからに他ならない。

風に揺れるハンカチは、まるで俺に「まだ終わっていない」と告げているかのようだった。

運命は自分で選び、道を切り開いていくものだ。

どんなに厳しい状況でも、あの黄色いハンカチが風に揺れる限り、まだ道は続くのだ。

人生と旅路(10)静寂の中で見つめた夜空

胆振地震後のブラックアウト(2018年)

小学生の頃、図書室には「世界の伝記」シリーズがずらりと並んでいた。

エジソンライト兄弟など、こうした偉人たちによって、今では当たり前に使っている技術の礎が築き上げられたのだから、これらの物語は、まるで冒険のように俺を魅了した。

でも、ふと考えてみると、それらを本当にゼロから作ったとは言えるのだろうか。

たとえば車だ。

確かに人間の技術で作られたように見えるが、その材料の鉄やアルミニウムは地球の鉱石だし、ガソリンだって地中から掘り出した石油を精製したものだ。

自然が何億年もかけて蓄えたものを、俺たちはただ利用しているだけなのだ。

そして、車が動く仕組みもまた、自然の法則に基づいている。

ガソリンが燃えてエネルギーが生まれ、車が進む。

これも人間が発明したというより、自然の法則に従っているに過ぎない。

結局、俺たちが「新しく作り出した」と思っているものは、すべて自然から借りているんだ。

どんなに素晴らしい技術を誇っても、その裏にある大きな力は自然そのものなのだ。

俺たちはその力をどう利用するかを考えているに過ぎない。

胆振地震後のブラックアウトの夜(2018年)

胆振地震の時、北海道が全域でブラックアウトした。

街の明かりが消え去り、いつもは当たり前のように感じていた文明の光が、まるで幻のように消えてしまった。

ただ静かな闇が広がっていた。

胆振地震後のブラックアウトの夜(2018年)

しかし、その闇の中で見上げた夜空は、驚くほど鮮やかだった。

普段は見えない無数の星が、闇の中でくっきりと浮かび上がっていた。

その瞬間、俺は気づいた。

人間の力なんて、自然の前では本当に小さなものなんだと。

文明がどれだけ進んでも、自然の前では無力だ。

俺たちは、この自然の圧倒的な力を前に、ただ生かされているに過ぎないのだ。

味わいの旅路(21)幻の蕎麦に出会う【華実地・岩見沢】

華実地・岩見沢

今回、俺が行ったのは、岩見沢市の郊外にひっそりと店を構える「華実地(はなみち)」という蕎麦店だ。

この店は、今年の6月に岩見沢に開店したばかりだが、以前から熊本県でお店を営んでおり、今後は季節ごとに九州と北海道を行き来しながら営業を続けるそうだ。

岩見沢での営業は9月末まで。10月以降は熊本県に戻るとのことで、次にこのお店で蕎麦を味わえるのは、春が来た頃になるとの話を耳にした時、俺は心の中で「今行かねば」という衝動が湧き上がり、9月末に「華実地」へと向かった。

「華実地」の蕎麦粉は、空知管内で栽培された「牡丹そば」の丸抜きを使用している。

蕎麦通の間では「幻のそば」として知られている牡丹そばは、栽培が難しく、背が高いため倒れやすい。このため収穫量も限られ、牡丹そばに更なる希少価値を与えているのだ。

ざるそば(京湯葉トッピング)・華実地

俺が今回注文したのは、「ざるそば」に「京湯葉」をトッピングし、さらに「蕎麦小膳」をセットにしたものだ。

目の前に運ばれてきた蕎麦は、その姿だけで期待を裏切らない。

そばの喉越し、そして牡丹そばならではの甘い香りに、日頃の疲れが一瞬で消えるような感覚に包まれた。

蕎麦小膳・華実地

けれども、それだけではない。

小膳に並べられた一品一品は、まるで絵画のように芸術的で美しく、すべてが蕎麦の風味を引き立てるように計算されているかのようだった。

これこそ、店主のこだわりと技が生んだ作品に他ならない。

その一瞬、その味わい、そして食べ終わるまでの時間の流れが、まるで旅をしているかのような感覚を呼び起こした。

旅の終わりは新たな始まりでもある。そして、俺はこの蕎麦小膳を味わいながら、次なる旅のことを考えていた。