現代社会では、多くの人々が「善か悪か」「正しいか間違っているか」という二分法に陥りやすい。
俺はその単純さに疑問を感じている。
歴史を振り返ると、善と悪は一枚岩ではなく、混じり合い、特に戦争のような極端な状況では、各々が自分の正義を信じて疑わず、他者を排除している。
そんな者たちは共存の可能性を見失い、他者の存在を脅威としか捉えられない。
反対に「自分が間違っているかもしれない」と思える者は、他者に対して寛容で、共感する力を持つ。
自己の限界を認めた瞬間、初めて他者を理解する道が開けるのだ。
争いは、自らの誤りを認めない者たちの間で起こるので、他者を理解する寛容こそが、調和や共存の前提条件だと俺は思う。
初めて香港の夜景を見たとき、狭い世界で善悪を争う人たちが頭をよぎった。
広がる夜景を前にして、そんな争いが無意味に感じた。
結局のところ、目の前で起こっている争いなんてものは、取るに足らないものなのだ。