博打の美学(1)函館の風に揺れる駆け引きと、人生の裏表

函館の街には、さまざまな楽しみ方がある。夜景や海鮮、古い街並みの中で時間が流れるように過ごすことも一興だが、競輪が開催されていると、自然とその場へ足が向いてしまうのはなぜだろう。『麻雀放浪記』の阿佐田哲也氏は「人が最後に辿り着くギャンブルの王様、それは競輪だ」と言った。なぜ競輪が彼にとって特別だったのか。その真意を、函館の風に吹かれながら考える。

競輪は、一人で勝つ競技ではない。ここには「ライン」と呼ばれる連携が存在する。仲間と共に走り、時には風を受け、時には風を避ける。互いに助け合うことで、全体の力が最大化される。しかし、その連携を裏切る瞬間があった時、レースの均衡が崩れ、勝敗が一変する。その駆け引きは、まさに人生そのものだ。
真剣に全力で取り組むこともあれば、力を抜く場面もある。そして、何より中途半端な走りをすれば、他の仲間に迷惑がかかる。社会も同じだ。時には自分一人ではどうしようもないこともある。人の力を借りなければ、前へ進めない。競輪の中には、そんな人生の縮図が見え隠れする。

函館で競輪を観戦するたびに、そのレースの中に人生の生きづらさや、成功と失敗が交錯する現実を感じさせられる。競輪はただのレースではなく、人生を映す鏡であり、駆け引きの妙がそこには詰まっているのだ。

ちなみに、車券の予想は的中した。選んだのは2車単、1番人気の「裏」。誰もが1番人気に賭けるだろう、その勢いは圧倒的だった。だからこそ、俺は逆を選んだ。なぜなら、人生というのはそういうものだ。表が見えるときに、ふと裏を見てしまう。表が真実とは限らない。競輪もまた、人生のように、予想外の結果が待っている。それが面白いのだ。